あたらしや大正時代や昭和初期からの歴史を貴重な画像と共に紹介します。

HISTORY創業250年の歴史

金沢の温泉「金沢湯涌温泉あたらしや」新屋が誇る創業250年の歴史と伝統。
大正時代や昭和初期からの歴史を貴重な画像と共にご紹介します。

星空の降りそそぐ宿「金沢湯涌温泉あたらしや」昭和の写真
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TAISHO

「金沢湯涌温泉あたらしや」の大正時代の様子を写真でご紹介します。

1912大正時代

大正時代、
2世代前旧々館の様子

大正時代の金沢湯涌温泉「あたらしや」の旅館外観
大正時代の金沢湯涌温泉「あたらしや」の旅館外観

金沢湯涌温泉「あたらしや」の大正時代、2世代前旧々館の様子

中央から右側の建物が「あたらしや」、左下の総湯へは湯の川を渡り廊下で結び、お客様が雨に濡れない様に配慮しました。当時から時代の最先端を常に導入する社風で先々代館主は初めて金沢湯涌温泉で写真機(カメラ)を購入、貴重な当時の金沢湯涌温泉街の様子を写真に記録し後世に残しました。

美しい意匠が
目を惹く、
大正の旧々館

美しい意匠の金沢の温泉あたらしや外観
美しい意匠の旅館外観

金沢湯涌温泉「あたらしや」の大正時代の旧々館

金沢への観光客増大に対応する為に新館を建築しました。当時では珍しい積雪荷重を考慮した堅牢な木造建築で戦後、進駐軍が宿泊した際に1階から3階まで、通し柱が檜の一本柱で貫くその構造にアメリカ人設計士が驚愕していたほどです。

左上:松風の間、左下:小督(こごう)の間右上:羽衣の間、  右下:胡蝶の間お部屋の名称は新館にも受け継がれています。
当時の部屋の間取り (一部)

あたらしや旧々館の間取り

左上:松風の間、左下:小督(こごう)の間右上:羽衣の間、右下:胡蝶の間お部屋の名称は現在のあたらしや新館にも受け継がれています。

SHOWA

「金沢湯涌温泉あたらしや」昭和時代の様子を初期・中期・後期に分けて写真でご紹介します。

1926昭和初期

昭和初期、
3階建ての旧館

昭和初期の金沢湯涌温泉「あたらしや」の旧館
昭和初期の金沢湯涌温泉「あたらしや」の旧館

「金沢湯涌温泉あたらしや(新屋)」の昭和初期当時の旧館

戦前、昭和初期頃の金沢湯涌温泉「あたらしや」旧館。3階付近に旧屋号である「新し屋」の看板が掲げられています。当時の温泉旅館は暗い石油ランプを使っていましたが最先端の技術を導入する社風は当時から変わらず、いち早く電力を温泉街に引き明るい電灯で館内を照らしました。木製の電信柱と電灯線が写っています。

レトロな湯涌TAXI

旧館と湯涌タクシー
金沢湯涌温泉「あたらしや」の旧館と湯涌タクシー (昭和10年撮影)

昭和10年撮影の金沢湯涌温泉「あたらしや」旧館と湯涌タクシー

まだ金沢湯涌温泉街の道路は舗装されておらず、雨が降ると泥濘や水溜まりで衣服が汚れました。あたらしや玄関前に駐まっているレトロな可愛らしい車は、金沢駅へ向かうお客様をお送りする為に客待ちをする湯涌タクシーの乗合自動車(現代のバス)です。

昭和初期
着物姿のお客様

着物姿の女性たち
あたらしや前で撮影された着物姿の女性たち

「金沢湯涌温泉あたらしや」旧館前で撮影された昭和初期の着物姿の女性

昭和初期にあたらしや前で撮影された、美しい着物姿のお客様。この頃はまだ洋装が珍しい時代で、新屋へいらっしゃるお客様は着物姿で着飾って来る女性がほとんどでした。

淡く灯るガス灯の
金沢湯涌温泉街

木造3階建てのあたらしや旧館
木造3階建てのあたらしや旧館 (昭和25年撮影)

戦後、昭和25年に撮影した木造3階建て金沢市の温泉宿「湯涌温泉 あたらしや」旧館

終戦から5年後の昭和25年夏に撮影した、あたらしや旧館の玄関前付近。重厚で趣ある木造3階建ての意匠は多くのお客様から愛されました。当時はガス灯が金沢湯涌温泉街を淡い灯りで照らす風情ある街並みでした。

贅を極めた新屋館内と、
レトロ看板

贅を極めた金沢の温泉あたらしや館内とフロントの看板
贅を極めた館内とフロントの看板

金沢の温泉「金沢湯涌温泉あたらしや」館内とフロントの銘板

純和風建築で天井から床の意匠まで当時の最先端デザインで随所にこだわった館内。この頃はまだ電話が珍しい時代で、局番も「7番」と一桁でした。通話する際も、今では常識のダイヤル直通通話ではなく湯涌郵便局内で交換手さんが接続していました。

ATARASHIYA COLUMN

金沢駅の金沢大型貸切自動車(現在の北陸鉄道)
金沢湯涌温泉行きバス乗り場

金沢湯涌温泉行きバス乗り場
金沢湯涌温泉行きバス乗り場

当時、金沢駅に設けられた金沢大型貸切自動車株式会社 (現:北陸鉄道) が運行する金沢湯涌温泉行きバス乗り場の様子です。藩政時代からから城下町金沢の温泉地と栄える金沢湯涌温泉街へは、当時でも珍しいバスが運行されていました。

1955昭和中期

先々代館主と、
イギリス製オースチン

先々代館主とイギリス車オースチン
あたらしや先々代館主とイギリス車オースチン

「金沢湯涌温泉 あたらしや」先々代館主とオースチン

昭和30年代、輸入車がとても高価で稀少だった時代にお客様の安全を第一に、あたらしや先々代館主がイギリス製オースチンを送迎専用車として導入しました。写真は納車時、安全祈願のために訪れた白山比咩神社で撮影したものです。

子ども達が遊ぶ、
金沢の温泉街風景

昭和30年代の金沢湯涌温泉の街並み
金沢湯涌温泉の街並み (昭和30年代)

昭和30年代の金沢湯涌温泉街口の街並み様子を撮影した画像

金沢湯涌温泉街の入口付近バス停前で撮影された幼少期のあたらしや先代館主(写真中央)。現在の貴船商店が建つ辺りです。この道を奥へ真っ直ぐ進むと旅館が建ち並ぶ金沢湯涌温泉街へ、右の側道を上がっていくと、白雲楼はくうんろうホテルがありました。

ATARASHIYA COLUMN

今は亡き昭和遺産
栄華を極めた白雲楼ホテル

旧白雲楼ホテルの外観
今はなき白雲楼ホテル

金沢湯涌温泉には、かつて東洋一と称された「白雲楼ホテル」がありました。このホテルは、昭和7年 (1932年) に能登出身の実業家、桜井兵五郎ひょうごろうが開業、本館玄関はフランク・ロイド・ライトが設計したと言われ、和洋折衷の美しさを放つ絢爛豪華な建物でした。老朽化によりホテルは2006年に取り壊され、現在は広い緑地公園へと姿を変えています。

芸妓さんを送迎、
観音開きのハイヤー

観音開きのハイヤー
芸妓さんを送迎する観音開きのハイヤー

「金沢湯涌温泉 あたらしや」の昭和30年代は東茶屋や西茶屋街から芸妓さんが来て賑わいました。

あたらしや先代館主が幼少時の頃は、毎日のように東茶屋や西茶屋街から芸妓さんがやって来て、夜遅くまで賑やかに太鼓や謡が鳴り響き眠れないほどでした。現代では旅行スタイルも変わり新屋のお客様は主に個人客となり団体客が騒ぐ事も無く、館内は静寂に包まれています。写真は当時、芸妓さんを送迎していたハイヤー。乗り降りしやすい観音開きの仕様です。

ATARASHIYA COLUMN

昭和30年代に発行していた
お荷物用のあたらしやオリジナルタグ

昭和30年代の新屋の荷物用カラータグ
新屋のカラータグ (昭和30年代)

チェックイン前に観光へ出かけるお客様の荷物をお預かりする際にこのタグを使用していました。

この年代、タグは宿泊施設の特徴があり当時では凝った絵柄の「あたらしや」のタグを記念に欲しいといわれるお客様が多く好評でした。またタグがお荷物から外れない様に一枚一枚に、金属製のアイレットを嵌め込んでいました。絵柄の中に見える戸室石は旧館取り壊し後も移設し「あたらしや」に現存しています。

昭和
の館主と女将

家族写真
あたらしや先々代館主の家族写真

「金沢湯涌温泉あたらしや」昭和の館主と女将。

昭和30年代に撮影した、あたらしや先々代館主が子ども達と笑顔で映る家族写真です。左から先代館主、先々代館主。右の写真は、夫婦で映る先々代の館主と女将です。

先々代告別式

金沢の温泉あたらしや先々代館主の告別式
あたらしや先々代館主の告別式 (昭和39年)

金沢の温泉「あたらしや」先々代の告別式の様子

昭和39年、先々代館主の告別式の様子です。あたらしや前には各界著名人をはじめ、多くの方々から頂いた供花が道路の両脇に供えられました。写真奥には「秀峰閣」さん、その手前に「やました」さんの旅館が建ち並びます。

ATARASHIYA COLUMN

昭和30年代、
「金沢湯涌温泉あたらしや」パンフレット

昭和30年代のカラーパンフレット
新屋のカラーパンフレット (昭和30年代)

写真は昭和30年代に使用していたパンフレットに掲載していた館内の様子です。カラー印刷のパンフレット自体が珍しかった時代、常に時代の最先端を取り入れる社風から、とても高価なカラーパンフレットを制作しました。

当時では珍しかったソファセット、シャンデリアは全て特注でした。テーブルに埋め込んだ特注の囲炉裏は、洋と和の融合で先代館主が既にネオジャパネスク路線を歩み始めた証しです。伝説の猩々さんの置物と奥に見える灯籠は現在の新館に現存しています。

1965昭和後期

昭和40年代、金沢の温泉街

昭和40年代の湯涌温泉街
金沢湯涌温泉街の風景 (昭和40年代)

昭和40年代の金沢湯涌温泉街と金沢湯涌温泉あたらしや旧館

昭和40年代に撮影した、あたらしや旧館(画像右側) と金沢湯涌温泉の街並みです。温泉街を貫く「湯の川」は暗渠となり、現在は道路に姿を変えました。

新屋の旧館

昭和44年撮影あたらしや旧館
あたらしや旧館 (昭和44年頃撮影)

昭和44年頃に撮影された旧館

昭和44年頃の「金沢湯涌温泉あたらしや」旧館の様子です。現在であれば昭和レトロと呼ばれるでしょうが、当時の館主は少しでも時代の最先端を取り入れて快適な空間でお客様をお迎えしたいと様々な試みを行いました。世間では未だ珍しかったエアコンを導入したのも、この頃。当時は、写真左上に湯涌温泉街の道路を跨ぐ「あたらしや」の大型看板が設置されていました。

接待さんが、
心をを込めて

寝具の手入れ
大広間で寝具の手入れをする接待さん (昭和40年代)

昭和40年代撮影の大広間で寝具の手入れをする金沢湯涌温泉あたらしや接待さん

昭和40年代、金沢湯涌温泉あたらしや旧館2Fの大広間にて、季節の変わり目に接待さんが総出で寝具のお手入れをする風景です。布団を広げ、一つ一つ丁寧に汚れや綻びがないかを確認しお手入れしていました。

ATARASHIYA COLUMN

昭和50年代の金沢湯涌温泉
「あたらしや(新屋)」のパンフレット

昭和50年代のパンフレット
新屋のカラーパンフレットと1階意匠 (昭和50年代)

あたらしや昭和50年代のパンフレットに掲載されている外観写真をよく見ると、1階の庇意匠が変わっていることがわかります。

これは、エアコン導入後に配管ダクトや補機類が外部から見える事を嫌った先代館主がそれらを目隠しする為に取り付けました。

愛され続けた
晩年のあたらしや旧館

昭和62年撮影のあたらしや旧館
あたらしや旧館 (昭和62年頃撮影)

昭和60年代の金沢湯涌温泉「あたらしや」旧館

昭和62年に撮影した、晩年の旧館の様子です。明治、大正、昭和、平成と時代を繋ぎ、その間に沢山のお客様が「あたらしや」をご愛顧くださいました。旧館跡地は、その一部を地元の湯涌と金沢市へ譲渡し、現在は湯涌温泉の総湯「白鷺の湯」へと姿を変えて金沢の温泉として愛されています。

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